安楽死・尊厳死|定義の違いや日本の実情について

投稿者:終末医療学術集会

安楽死・尊厳死|定義の違いや日本の実情について

日本では、日本国憲法で人権の尊重が掲げられています。これは、他人の人生を害さない限りどのように生きても良いと解釈することもできます。生きることも自由であれば死ぬこともまた自由と言えるわけです。

人間が最期を迎える時、大きな壁にぶつかると言われています。それは、死ぬことに対して選択肢があるかと言う問題です。特に近年は安楽死と尊厳死、つまり1人の人間の死に方についての議論がされています。それぞれの定義の違いや日本の実情はどうでしょうか。

尊厳死とはどのようなものか

医療は年々進歩していますが、特に2000年以降は大きな進歩を遂げており過去には不可能だった延命処置ができるようにもらっています。かつては助からなかった命が助かることにより、人々を幸福にする一方で、命を延ばすことにより不幸になる人もいます。例えば、延命処置をしてみたものの寝たきりの状態となり自由が全くない人などです。法律上、本人の承諾を得ることなく勝手に延命をやめてしまうと、医療機関で延命処置の取りやめを判断した医師は殺人罪になってしまう可能性があります。そのため、勝手に中断することができません。

ですが、本人の意思表示ができる段階ならば、無駄に命を延ばすことなく自然の中で亡くなることも問題ないはずです。このように、自然な形で亡くなる方法を尊厳死と呼んでいます。特に不治の病などはどれだけ命を延ばそうとしても苦痛をもたらすとされています。それならば、延命処置をすることなく尊厳死を選ぶ人がいても不思議では無いはずです。

尊厳死に対する日本の現場とは

尊厳死と言う言葉は、昔から海外で使われていましたが、日本でも積極的に使われるようになったのは1990年代ぐらいからです。実は海外と日本では、尊厳死に対する解釈が少し異なっています。日本の解釈は、延命処置をとらず緩和医療等で人生の終わりを迎えることです。これに対して海外の尊厳死は、安楽死を含んでいます。日本の法律では、安楽死が認められていないため海外の尊厳死をそのまま適用することができません。しかし、本人の希望があれば延命処置をしなくても良いことになっています。このように考えれば、尊厳死も認められるわけですが、これを認めるためには法律上の制限がいくつかあるため難しい部分もあります。

例えば、本人の意思を確認した場合でも、意識が朦朧としている状態の場合にははっきりと本人の意思があったと断言することもできません。そこで延命処置を止めてしまえば、医療機関の人間が殺人罪や殺人の幇助になってしまいます。そのため、日本では尊厳死に関しては不可能ではないものの慎重な構えをとっているのが現状です。

安楽死とはどのようなものか

安楽死とは、回復の見込みがない患者に対して安らかな死を選ばせることです。具体的には、医者が致死量の薬が入った注射をすることで眠るようにして痛みを伴うことなく終焉を迎えさせることです。この注射は通常睡眠薬が含まれており、注射をすることで眠気を誘いそのまま意識を失います。そして、致死量を超える薬物が含まれているため、意識を失った状態で命が消えていくわけです。本人は、注射をした段階で意識がないため一切痛みが伴わず楽な状態で死を迎えることができます。

現在日本では、癌の患者が非常に増えています。過去30年の間に2倍ほどの患者数になっており、年間でおよそ370,000人の癌患者が発見されている状態です。その中でも末期癌は身体中が痛くなるためこの苦痛を取り除くために、安楽死の議論がされています。安楽死自体は日本で発明されたのではなく、海外で発明されたもので、これを積極的に日本でも適用しようとする話もありました。特に1990年代以降は、日本国内で安楽死に関する議論が盛んに行われているのです。

日本では安楽死できないと言う現実

日本では安楽死できないと言う現実

海外では、安楽死が合法の国もあります。スイスは安楽死が合法な国として有名です。しかし日本では、安楽死が認められていないのが現状です。1990年代には、末期癌を患った患者に対して医者が安楽死をしたところ殺人罪の容疑で逮捕された事例がありました。これをきっかけに、安楽死そのものに対する議論が盛んに行われてきたわけです。

日本国憲法では、人権が尊重される以上は生きる権利もあれば死ぬ権利もあるはずです。それにもかかわらず、頑なに安楽死が合法化されない理由は一体何でしょうか。

合法化されない最大の理由は、本人の意思表示にあります。本人の意思表示とは、自分は安楽死をしたいと医者に伝えることですが、本当に心の底からそのように考えているかと言えばその判断は難しいものがあるでしょう。人間は、心に思っている事と言葉に表現した事は違うこともあります。また人の心は移ろうところがあり、たまたまその時は死にたいと考えていても安楽死の注射を打った時、もう少し生きたいと考えることがあるかもしれません。また、家族にこれ以上迷惑をかけたくないと遠慮している人でも、心のどこかでは寿命まで生きたいと考えている可能性もあります。このように、意思表示をしても本当に死を望んでいるかと言えばそうでないことも多く、このあたりが安楽死を合法化することが難しい理由になるわけです。

まとめ

尊厳死とは、延命処置を施さずに自然なかたちで亡くなることです。延命処置を始める前の段階で本人の意思が明確ならば尊厳死も問題ないとされています。当然この意思表示には明確な基準があるため、曖昧な意思表示では尊厳死を選ぶことができません。

それに対して安楽死は、苦痛を避けるため致死量の薬が含まれている注射などをして積極的に命を奪う行為です。現在の日本では安楽死は一切認められていません。その理由は、本人の意思表示が明確でないことが多いからです。

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