月別アーカイブ 4月 28, 2021

投稿者:終末医療学術集会

「私を助けないで」自分の命を諦める”譲カード”の是非を問う

2019年に中国の武漢市で発生したとみられる新型コロナウイルスは世界中で猛威を振るい、2020年以降は日本でも医療現場がひっ迫した状況が続いています。大阪市の医師である石蔵文信氏は、高齢者が若い人の患者のために“集中治療を譲る意志カード(譲カード)”というものを作りました。譲カードには法的な拘束力はなく、患者が医者に自分の意志を伝えるために自発的に持つことができるものです。もしも新型コロナウイルスで重い肺炎になった時に若い人に対して集中治療を譲ると自分の命が失われる危険性があることから、このカードの是非についての議論が起こっています。

「集中治療を譲る意志カード」が作られた背景とは

「集中治療を譲る意志カード(譲カード)」が考案された背景ですが、2020年に国内で新型コロナウイルスの感染者や重傷者が急増したことで、医療現場がひっ迫した状況が関係しています。この病気に罹って重症化すると重い肺炎を起こし、患者は呼吸困難に陥ります。そのまま放置すると酸欠を起こして死に至る危険性があるため、肺炎が収まるまでの間は人工心肺装置(ECMO)で治療を受ける必要があります。ところがECMOは数が限られているため、一度に大勢の危篤患者が出ると装置が不足して全ての患者が利用することができなくなってしまいます。もしもECMOが不足した場合には、現場の医師が優先順位を決めて治療を行います。


通常は集中治療設備でECMOを使用した治療を受ける優先順位は医師が決定しますが、中には若い人のために治療の機会を譲りたいと願う高齢の患者もいます。治療の優先順位の判断を医師ではなくて患者自らの意志で決めることを望む人のために、「集中治療を譲る意志カード」が作られました。ちなみに「集中治療を譲る意志カード」は考案者である石蔵文信医師も自ら署名をしており、もしも新型コロナウイルスに感染して重い肺炎に罹った時は他の人に治療を受ける機会を譲る意志を伝えています。

現場でがんばっている若い先生方に同じような苦労はかけたくないと思い、今回は高度な医療機器が逼迫したときに、自分に使われている機器を若い人に譲るという意思を伝えるために私は「譲(ゆずる)カード」を作成し、署名しました。私が万が一のときには若い人に高度な医療機器を使っていただきたいと思います。

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishikurafuminobu/20200408-00172087/

終末医療の現場と「譲カード」

患者が自分で治療の優先順位を後回しにすることを伝える「譲カード」に関していろいろな意見が出ていますが、肯定的な意見も少なくありません。肯定的な考えには、自分自身が受ける治療を他人である医師ではなくて患者自らが判断をすることができる、という意見があります。例えば、末期がんや完治が見込まれない慢性疾患の患者であれば、若い人に対して治療の機会を譲りたいと感じる人もいるでしょう。実はこのカードに署名をした石蔵文信医師も前立腺がんの患者で、既に癌が全身に転移していることが判明しています。


終末医療の現場においては、完治の見込みがない患者が強い副作用のともなう治療を望まずに緩和ケアのみを選択するといったケースも珍しくありません。「譲カード」に署名することで数が限られているECMOで延命治療を受けることを望まないという点では、終末医療の現場における「事前指示書」と似ているかもしれません。

医療上の処置に関する意思カードとは

一般的に患者はどのような治療や医療処置を受けるかを自分で決める権利があり、意識があれば医師と相談したりカウンセリングなどで自らの意志を伝えます。もしも病気で意識がない時は患者の意見や考えを知ることができないため、現場で治療にあたる医師が判断して処置が行われます。「譲カード」は、もしも患者の意識が失われて意志を伝えられない場合に備えるためのものです。


「譲カード」以外にも、意識が失われて自分の希望を口頭で伝えることができない時に備えて医療上の処置や治療方法を医療関係者に指示するためのカードがいくつか存在します。身近なものであれば、運転免許証の裏面の「臓器提供意思表示欄」があります。これは、本人が希望すれば臓器提供の意志を伝えることができるというものです。他にも終末治療を受ける際に延命治療を希望しない人であれば、「事前指示書」を作成しておく方法もあります。意識が失われた状況でも患者が自分で医療を選択するための方法は既に存在して使用されており、石蔵文信医師が考案した「譲カード」もこれらのうちのひとつに過ぎません。

「譲カード」に対する反対意見とは

「譲カード」に対する反対意見とは

「譲カード」は患者が自らの意志で治療を選択するためのひとつの方法、と捉えることができますが、反対意見も存在します。反対意見として、「譲カード」が「命の選択」につながる恐れがある、と考える人もいます。

高度医療が可能な設備は限られている以上は、新型コロナウイルスの患者が急増して装置が服した際に現場の判断で命の選択をしなければなりません。一部の患者が「譲カード」に署名をして治療の機会を譲ることは、装置の不足に対する解決策のひとつになってしまう恐れがあります。本来であれば、医療設備を充実させて全ての患者が適切な治療を受けることができるように環境を整備したり、感染者数を減らすための対策を行うことを優先させるべきです。高齢者や末期がんの患者に「譲カード」に署名してもらって「命の選択」をすることで装置不足や感染者数の増加に対する解決をはかることは根本的な解決策とはいえない、という意見があります。

終末医療の現場で使用される「事前指示書」は、希望すれば治療が受けられるような状況で患者の意志で延命治療を断るためのものです。治療が受けられない状況を解決するために一部の患者に対して生きる権利を放棄してもらうことは、倫理上の問題があるという考え方を持つ人も少なくありません。

まとめ

「集中治療を譲る意志カード」(譲カード)の是非をめぐり、患者が自らの意志を主治医に伝えるためのひとつの手段に過ぎないという考えもあれば、新型コロナウイルスで逼迫する医療現場で生じる問題に対処するための小手先の解決策に過ぎないという意見もあります。今後もしばらくの間は日本各地の医療現場で医療設備の不足が続くことが予想されており、「譲カード」の是非をめぐって肯定派と否定派の間で意見の対立が続くかもしれません。

投稿者:終末医療学術集会

安楽死・尊厳死|定義の違いや日本の実情について

日本では、日本国憲法で人権の尊重が掲げられています。これは、他人の人生を害さない限りどのように生きても良いと解釈することもできます。生きることも自由であれば死ぬこともまた自由と言えるわけです。

人間が最期を迎える時、大きな壁にぶつかると言われています。それは、死ぬことに対して選択肢があるかと言う問題です。特に近年は安楽死と尊厳死、つまり1人の人間の死に方についての議論がされています。それぞれの定義の違いや日本の実情はどうでしょうか。

尊厳死とはどのようなものか

医療は年々進歩していますが、特に2000年以降は大きな進歩を遂げており過去には不可能だった延命処置ができるようにもらっています。かつては助からなかった命が助かることにより、人々を幸福にする一方で、命を延ばすことにより不幸になる人もいます。例えば、延命処置をしてみたものの寝たきりの状態となり自由が全くない人などです。法律上、本人の承諾を得ることなく勝手に延命をやめてしまうと、医療機関で延命処置の取りやめを判断した医師は殺人罪になってしまう可能性があります。そのため、勝手に中断することができません。

ですが、本人の意思表示ができる段階ならば、無駄に命を延ばすことなく自然の中で亡くなることも問題ないはずです。このように、自然な形で亡くなる方法を尊厳死と呼んでいます。特に不治の病などはどれだけ命を延ばそうとしても苦痛をもたらすとされています。それならば、延命処置をすることなく尊厳死を選ぶ人がいても不思議では無いはずです。

尊厳死に対する日本の現場とは

尊厳死と言う言葉は、昔から海外で使われていましたが、日本でも積極的に使われるようになったのは1990年代ぐらいからです。実は海外と日本では、尊厳死に対する解釈が少し異なっています。日本の解釈は、延命処置をとらず緩和医療等で人生の終わりを迎えることです。これに対して海外の尊厳死は、安楽死を含んでいます。日本の法律では、安楽死が認められていないため海外の尊厳死をそのまま適用することができません。しかし、本人の希望があれば延命処置をしなくても良いことになっています。このように考えれば、尊厳死も認められるわけですが、これを認めるためには法律上の制限がいくつかあるため難しい部分もあります。

例えば、本人の意思を確認した場合でも、意識が朦朧としている状態の場合にははっきりと本人の意思があったと断言することもできません。そこで延命処置を止めてしまえば、医療機関の人間が殺人罪や殺人の幇助になってしまいます。そのため、日本では尊厳死に関しては不可能ではないものの慎重な構えをとっているのが現状です。

安楽死とはどのようなものか

安楽死とは、回復の見込みがない患者に対して安らかな死を選ばせることです。具体的には、医者が致死量の薬が入った注射をすることで眠るようにして痛みを伴うことなく終焉を迎えさせることです。この注射は通常睡眠薬が含まれており、注射をすることで眠気を誘いそのまま意識を失います。そして、致死量を超える薬物が含まれているため、意識を失った状態で命が消えていくわけです。本人は、注射をした段階で意識がないため一切痛みが伴わず楽な状態で死を迎えることができます。

現在日本では、癌の患者が非常に増えています。過去30年の間に2倍ほどの患者数になっており、年間でおよそ370,000人の癌患者が発見されている状態です。その中でも末期癌は身体中が痛くなるためこの苦痛を取り除くために、安楽死の議論がされています。安楽死自体は日本で発明されたのではなく、海外で発明されたもので、これを積極的に日本でも適用しようとする話もありました。特に1990年代以降は、日本国内で安楽死に関する議論が盛んに行われているのです。

日本では安楽死できないと言う現実

日本では安楽死できないと言う現実

海外では、安楽死が合法の国もあります。スイスは安楽死が合法な国として有名です。しかし日本では、安楽死が認められていないのが現状です。1990年代には、末期癌を患った患者に対して医者が安楽死をしたところ殺人罪の容疑で逮捕された事例がありました。これをきっかけに、安楽死そのものに対する議論が盛んに行われてきたわけです。

日本国憲法では、人権が尊重される以上は生きる権利もあれば死ぬ権利もあるはずです。それにもかかわらず、頑なに安楽死が合法化されない理由は一体何でしょうか。

合法化されない最大の理由は、本人の意思表示にあります。本人の意思表示とは、自分は安楽死をしたいと医者に伝えることですが、本当に心の底からそのように考えているかと言えばその判断は難しいものがあるでしょう。人間は、心に思っている事と言葉に表現した事は違うこともあります。また人の心は移ろうところがあり、たまたまその時は死にたいと考えていても安楽死の注射を打った時、もう少し生きたいと考えることがあるかもしれません。また、家族にこれ以上迷惑をかけたくないと遠慮している人でも、心のどこかでは寿命まで生きたいと考えている可能性もあります。このように、意思表示をしても本当に死を望んでいるかと言えばそうでないことも多く、このあたりが安楽死を合法化することが難しい理由になるわけです。

まとめ

尊厳死とは、延命処置を施さずに自然なかたちで亡くなることです。延命処置を始める前の段階で本人の意思が明確ならば尊厳死も問題ないとされています。当然この意思表示には明確な基準があるため、曖昧な意思表示では尊厳死を選ぶことができません。

それに対して安楽死は、苦痛を避けるため致死量の薬が含まれている注射などをして積極的に命を奪う行為です。現在の日本では安楽死は一切認められていません。その理由は、本人の意思表示が明確でないことが多いからです。