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投稿者:終末医療学術集会

DNARとは?人として尊厳を保ちながら死にゆく権利について考える

かつては命の終わりを迎えるとき、家族や医師の意見に従った治療を受けることが通常でした。まだ生きているのに、死ぬときはどのようにしたいかなど話し合うことがほとんどなかったからです。
近年は、終活という言葉が一般的になり自分の命の終え方を自分で決めてエンディングノートに記し、家族に伝えることで本人の意思に応じた死の迎え方ができるようになりました。
そんな時代の中で生まれた「DNAR」という言葉があります。それは本人か家族の意思決定を受けて蘇生法を行わないということですが、どのような定義やルールがあるのか、DNARについて解説します。

DNARとはどのようなことか

DNARとは、患者が心停止状態になっても蘇生を行わないということで、患者本人や家族の意思や利益を尊重して判断されるものです。しかし患者からの要求にすぐに応じるものではありません。「医療・ケアチームで十分に話し合ったうえで判断をする」ことが、厚生労働省のガイドラインに示されています。
ガイドラインには、家族が患者の代わりにその意思を主張した場合も患者本人の意思と同様に尊重すべきものと定義しています。患者の容態が急変したり急に悪くなって生死の淵をさまようことになり、患者本人と家族が十分に話し合う時間を持てないまま家族がDNARの意思を示した場合は、医療関係者と家族がしっかりと話し合って、本人にとって最良の方法をすることが大切です。
日本集中治療医学会では、「終末期医療とDNARは同じ意味ではない」と医師向けに勧告しています。DNARは心停止の時に蘇生を行うことはしませんが、治療をしないということではないのです。

患者さんやご家族の「心肺蘇生を希望しない」という意向に、医師が合意してカルテに明示したものを「心肺蘇生を試みない指示」、略して「DNAR指示」(Do Not Attempt Resuscitation)といいます。

https://www.min-iren.gr.jp/?p=30463

終末期医療とはどのようなことか

終末期医療とは、自分の最期をどのようにしたいかを決めておき本人が望む最後の迎え方を尊重した医療の方法です。調査によると、半数強の人々が「自宅で死を迎えたい」と答えていますが、厚生労働省の2017年度の人口動向調査では、実際には約75%の人が病院で亡くなっていて自宅で亡くなった人はわずか13%という結果が出ています。
人生の最期となるような病気や災難に遭ったとき、ほとんどの場合は痛みや苦しみを和らげるために治療を求めて本人や家族の意志で病院に行きます。そしてそのまま病院で最期を迎えることが多いのですが、住み慣れた自宅で最期を迎えたいのであれば事前に家族に伝えておくことが大切です。死を迎えるときは自分で移動することは困難ですが、家族に伝えることによって家族が代わりに自宅に連れて帰ってくれる可能性が高まります。
また延命治療を望むのか、痛みや苦しみを和らげる緩和ケアはするのか、臓器提供はどうするのかどうするのかなどを、本人と家族、そして医師が一緒になって話し合っておけば患者本人の意思を尊重した終末医療ができるようになります。

DNARとDNRとの違いについて

DNARとよく似た言葉にDNRという言葉もあります。どちらも「心停止になったときに胸骨圧迫などの蘇生をしない」という意味ですが、もともとDNRという言葉が使われていました。DNRは「Do Not Resuscitattion」の略語で、「蘇生をするな」ということです。しかし蘇生をすれば生き返るかもしれない、という意味も含んでいるのです。それが1990年代に入って、生き返る見込みは少ないので「蘇生を試みるな」という意味の「Do not attempt resuscitation」に置き換えられたという経緯があります。
どちらも同じような意味なのでどちらの言葉を使っても良いのですが、決定的に違うところは、新しいほうの「DNAR」は心停止の時だけだけに有効で、心停止になるまでの治療についてはきちんと議論をして治療を進めていく必要があるということが大前提として日本集中治療学会のガイドラインで強調されている所です。

DNARは治療をしないということではない

DNARは治療をしないということではない

DNRAは救急や集中治療室室における終末期医療のガイドラインとして2014年に発表されたものです。また2015年に厚生労働省が「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表したことで、患者の尊厳を重んじない延命治療はずいぶん少なくなりました。
しかし、まだDNARの意味を誤解している医療現場もあることは否定できず、あくまで心停止の時のみ蘇生をしないということであって、まだ心臓が動いている状態、生きている状態で痛み止めや苦痛を和らげる治療をしないということではありません。そのため集中治療室では栄養や輸液、酸素を提供したり鎮痛座や不整脈薬など具体的な治療の種類を提示して、これらの治療を控えたり中止をすべきではないと、ガイドラインの改定ごとに繰り返し記載されています。
終末期医療には、治療をしないという患者本人の選択肢がありますが、DNARはそうではないということです。

まとめ

終末期医療もDNARもどちらも本人や家族の意思が尊重される医療ですが、終末期医療は生きていて病気と闘っている間のことも含んでいる一方、DNARは心停止の時の蘇生をしないということに特化されたものです。
かつては本人の意思はあまり尊重されず家族や医師など周囲の人によって終末期の医療も蘇生も行われてきましたが、人生の最期の迎え方についても生きているうちに意思を決定しておけば尊重される時代となりました。その権利があるので、希望があればしっかりと周囲に伝えてくことが大切です。

投稿者:終末医療学術集会

終末医療の費用問題|お金が無ければ苦しむしかないのか

日本では健康保険の加入者の割合が高く、その実態から皆保険制度という言葉が使われております。医療を受けるとお金を支払わなければなりませんが、一定の割合の負担で済むのです。
さらに高額な治療も保険で認められた範疇ならば、高額医療費制度が使用出来るために大きすぎる負担はないと言われております。自費負担の先進治療がしたい場合にはこの限りではなく、医療費については高額になってしまうこともあるのです。終末医療にもこの原則が当て嵌まります。

終末医療で入所する時の考え方

終末医療では患者の意思が反映されることが第一になりますが、在宅での看護には限界があります。家族の負担が大きくて、もしもの時の心配も尽きません。だからこそ終末医療を受けることが出来る病院に入院することが現実的にはなりますが、受け入れる医療機関がない場合や逼迫しているなどのバランス的な問題も少なくはないのです。ある程度の自由と意思に基いて医療機関を選択したいのならば、自費で入院や入所が出来る場所を探す必要があるでしょう。
費用的にはスタッフによる行き届いたケアが保険の範疇外まで行われるのならば、その分だけ費用は大きくなってゆくことが特徴になります。健康保険のシステムでは病気に関する手厚い保護はあっても、一部の看護に対しては保険が使えません。例えば食事などは実費であることも多く、レクリエーションや趣味の費用なども自己負担になります。長期の入所が必要ならば豊かな気持ちで過ごすための費用を計算して、入所費用や医療費とは別枠で計算しておくことが大切です。

治療の考え方と選び方

病気の治療方法にはいくつかのパターンがあり、医師との相談の上で決めていくことが必要になります。完全に治療が出来るならば最優先にするのは当然になりますが、治療効果が少ない場合や逆に治療をすることで命の危険に晒される場合だって少なくありません。
そうしたケースには対処療法や延命的な処置が行われて、残りの人生を快適に暮らすための医療が行われることになります。なるべく病気の進行を遅らせることや、痛みなどを取り除く緩和ケアなどの対処療法がその中心になり、体のケアだけではなく心のケアとして患者同士のグループケアなどを行うこともあるのです。
現在では終末医療は形を変えて病院のベッドで寝たきりで過ごすのではなく、余命を静かに自分らしく過ごすことが推奨されております。薬で痛みを和らげながら日常生活を送り、末期症状になってからは例えば腹水などを取り除く処置をして体の圧迫感を減らしたり、モルヒネで痛みを和らげるなどの医療行為を行います。

ロコモティブシンドロームと終末医療

少子高齢化は2000年代に入り加速度的に進み、現在は3人に1人が高齢者世代や準高齢者に差し掛かっております。日本人の平均寿命は大きく伸びましたが、老人になれば誰しもが体にトラブルの1つや2つを抱えている状態になり、病院とは縁の切れない暮らしをしているのです。
平均寿命だけではなく近年では健康寿命に着目が集まり、老後でも自活して生活を送れることを目指す動きが広まってきております。日本では医療費の増大が社会問題化しており、予算の3割程度の費用が医療費関連に消費されているという指摘とデータがあるのです。健康ならば病院とも疎遠になるし、介護などの問題も少なくなります。
ロコモティブシンドロームという概念は、運動習慣を日常化して食事のバランスを整え、飲酒や喫煙をほどほどにして健康寿命を延ばす取り組みです。健康な状態が長く続くことで、終末医療の苦しみは軽減されるという推察もあるために、現在は運動教室などが草の根運動で広がってきております。

終末医療と医療保険について

日本人の死因の一番多いのはガンという病気です。自己免疫の暴走とエラーによって、正常な細胞を侵食してしまい臓器不全などを起こしてしまうことで病死してしまいます。ガンは外科手術で取り除くことが根治治療になりますが、放射線の照射や分子標的薬や遺伝子治療など治療のアプローチは様々あります。
しかし現実的には最先端医療では保険が適用されないために、費用が捻出できない場合には保険適用範囲での治療法しか選べません。そして最先端医療を行う医療機関は全国でも数える限りであり、お金があったとしても治療を受けられるとは限らないのです。
健康保険とは別に医療保険などに加入しておけば、プランによっては最先端治療の費用が保険会社により全額負担になる場合もあります。保険は若い頃から加入することがお勧めであり、高齢になり持病を抱えていると一部の保険にしか入れなくなってしまいます。終末医療や最先端の治療について考えるのならば、なるべく若い内から該当する保険に加入することが重要になります。

まとめ

通常の入院ならば皆保険制度である健康保険に加入していれば、現状の日本では大きな心配がありません。しかし長期の入院や終末医療と考えると、費用は多いほど良いということも現実になります。
普段から給与の中で一定額を貯蓄しておいたり、医療保険に加入しておくことで万が一の事態にも対応が出来ます。転ばぬ先の杖として一定額の貯蓄があることが、人生の役に立つ日があるのです。そして健康寿命を意識して生活すれば、病気にかかりにくい体を維持することも可能になります。

投稿者:終末医療学術集会

「らくに逝きたい」安楽死が日本で認められる日はいつ訪れる?

現代の日本において、安楽死や尊厳死は合法化されていない、仮に本人が安楽死を強く求めたとしても患者の要望に基づいて殺害したり、自ら命を絶つための手助けをすることは自殺関与・同意殺人罪に該当するといいます。これに加えて、意識などがなく本人が死を望んでいないのにも関わらず、安楽死させればそれは殺人罪で処罰されるなど、日本の法律の中では現状安楽死および尊厳死は様々な罪に問われる可能性が高いなど法律そのものの改正がなければなしえない話です。

尊厳死は,安楽死と同じことであるという誤解が多い(28.7%)。次の点で異なることを明確に伝えておく必要がある。安楽死は,末期患者の苦痛を除去し,死期を早めることを目的としている。それに対して,尊厳死は,死期の引き延ばしをやめることを目的としている。人間としての尊厳が保たれているうちに自然な死ができるようにとの考えから生まれた概念である。

https://www2.ninjal.ac.jp/byoin/teian/ruikeibetu/teiango/teiango-ruikei-b/songensi.html

日本の法律ではどのような処罰になるのか?

日本の法律では、安楽死や尊厳死は認められていません。認められていないので、入院中の患者さんが担当医に対して安楽死を求めても断れてしまうことはいうまでもありません。仮に、担当医が患者さんの気持ちを察して安楽死させたとします、この場合は自ら命を絶つことへの手助けをしているわけで殺人罪に問われることはないのです。しかし、自ら命を絶つことへの援助といった形になるため自殺関与や同意殺人罪など刑法202条に該当するのが特徴です。ここで注意すべき点は、患者さんが担当医に対して口頭での安楽死を求めた場合には、本人がそれを求めているのか否かの証拠がないため、患者さん本人が希望していたとは違った観点で見られてしまうなどから殺人罪が適用されることになります。仮に、日本の法律が改正されて安楽死が合法となった場合でも、患者さん本人が安楽死を求めていることを記した証明書といったものがなければ犯罪に相当するのではないでしょうか。

刑法上での安楽死とは?

学説の中では、安楽死や尊厳死は解釈により一定の場合に正当化すると余地はないのか、このような問題が検討されていたといいます。正当化するという意味は、適法な行為であるなどになるのですが、刑法上での安楽死の考え方は、死期が切迫していて激しい痛みなどの苦痛にあえいでいる患者さんに対し殺害して苦痛から解放することを意味するといいます。これに対して、尊厳死は、治療が困難もしくは治療が不可能な病となり意識そのものも回復する見込みがなくなってしまった患者さんに対して延命治療を中止することを意味するとあります。しかしながら、これらを正当化して認めても良いものであるのか、その要件をどのように考えるべきかなど、様々な論議が存在します。なお、終末期の医療が発達している現代において、患者さんの病状について正確なジャッジを下せるのは原則専門医のみであり、医師による安楽死が問題になるケースが増えているともいいます。

医師とは何か?安楽死などとの関係

医師とは何か?安楽死などとの関係

患者さんの状態を把握できるのは医師のみ、しかし日本の法律の中では安楽死や尊厳死は認められていないため、仮に激しい苦痛に苦しむ患者さんを診察する立場にあっても患者さんを死なせてしまうといったことは殺人罪や自殺関与などの罪に問われてしまいます。ただ、本来医師といった職業は、可能な限り患者さんをより長く生かすべき立場などからも、わずかな可能性でも延命できるのであればそれを追従することを考えなければなりません。延命の可能性があると判断されたとき、それを追求することを職業倫理で掲げる職種などからも、患者さん本人が命を絶ちたいなどの要望があったとしても、法律が改正されて尊厳死や安楽死が認められても職業倫理とは相反する考え方の中で患者さんを殺す義務を果たすことは人間としてどうなのか、このような考え方もあるわけです。例え、犯罪が適用されなくても医師の職業がどのような性質があるのかで安楽死や尊厳死は不可能なものなどの意味にも繋がります。

欧米の一部の国では認められている

患者さんの痛みが耐え難いものであると同時に回復の見込みがない、これに加えて患者さん本人の明確な意思に基づくことを条件として欧米の一部の国などでは、安楽死や尊厳死は認められているといいます。さらに、オランダやベルギーなどの国々においては、肉体的な苦痛だけでなく精神的な苦痛による安楽死、未成年者に対しても認められているなどこれらは日本人の感覚の中ではかなり極端な話といえましょう。積極的安楽死や自死介助は日本では認められていない、仮に実行すれば殺人罪や自殺幇助罪などの罪に問われることになります。ただ、終末期を迎え苦痛に伴う治療を行っている患者さんへの延命治療を中止した結果、死期が早まるという治療中止の名を持つ消極的安楽死は日本の中でも認められているといいます。これは患者さんの意思で治療をやめる、結果として死に至ることについては法律の中で禁止されていないのが現状です。なお、消極的安楽死は、自分の意思により決めるなどの条件があります。

まとめ

病気の末期を迎え、痛みなどに苦しむ毎日はとても辛いものですが、日本の中では安楽死および尊厳死は法律で認められていないので苦しみながら死を迎えた人も少なくありません。仮に、法律で認められたとしても医師という職業は延命を可能な限り求めるもので延命の可能性が僅かに残っているのであれば安楽死や尊厳死など倫理的に考えてもできない、もしくは法律で義務付けを行うことは職業倫理と相反する形となり、患者を殺す義務を課すことになるのではないでしょうか。

投稿者:終末医療学術集会

小児がん患者の終末期医療とは。重篤な疾患を持つ子どもの緩和ケアについて

がんは誰しもが罹患する病気であり、特に成長期の子供ががんになった場合には進行が早いことも珍しくありません。早期発見早期治療が病気を克服する最良の手段であることは間違いありませんが、病と闘う意思をサポートすることも周囲の責任になるのです。
小児がんが進行してしまい根治治療を望めない場合には、対処療法や緩和ケアが必要になります。医学的な見地だけではなく、人間的なケアを含めて患者に接することが医療従事者には求められているのです。

医療技術の発展と展望

普段病院に行ったとしても予防注射や持病の治療のための処方箋をもらうなど、直接的に命に係わる症状出ない場合の方が通院では大多数になります。その一方で患者として入院して病状が重い場合には、急性期と呼ばれる病院に入院して治療に取り組まなくてはいけません。
急性期の病院に入院して手術を受け、病後に安定した体調を取り戻し日常生活に戻れることも少なくはないのです。医療技術は年々進歩してきており、技術だけではなく医療分野の最先端治療の確立や、サポートするための機器なども進歩していることが現在の状況になります。今後はさらに踏み込んだ進化が期待されており、人工知能を組み合わせたAI治療が医療現場に導入される前段階だと言われているのです。
こうした医療の進化を期待すると共に、重い症状からの生還の一助になるように医療技術は臨床からのフィードバックを行い、現場では実際に新しい手法が試験的に試されております。がん患者に対するケアも、以前よりも格段に進歩しているのです。

がんという病気について

がんという病気は自己免疫のエラーが重なり、何らかの原因でそのエラーを取り除けなかった時に発生することが分かってきております。遺伝子が複製を繰り返すことで人間の皮膚や臓器は成長を続け、やがて成長を止めて新しい細胞が生まれることにより新陳代謝を繰り返しております。
このサイクルが外的な要因や生まれ持った遺伝子によって崩れることで、従来の働きとは異なった細胞が生まれ新陳代謝のサイクルが正常に機能しなくなることでがん細胞へと育ってしまうのです。この異なった細胞で害を与えないものは良性腫瘍と言われ、のう胞や肉の塊として体の部位に出来ることがあります。一方でがんは悪性腫瘍と呼ばれ、湿潤して周囲の細胞にも広がり転移してしまうことで、正常な細胞の働きを阻害してしまう害が発生してしまうのです。
悪性腫瘍は原発巣になった箇所の性質が現れ、治療方針が異なります。体に浮腫を作りやすい原発巣や、痛みの強いものなど原因によって性質がそれぞれ異なるのです。

小児がんという病気について

従来がんは成人や高齢者に多くみられますが、一定の割合で小児にも起こることで知られております。詳しい原因は判明しておらず、考察では遺伝子に関連したケースが多いとされているのです。小児がんの特徴は成長期である子供のために、体への負担が大きく進行性が成人よりも高いという傾向が少なくありません。
体力的に劣る子供ですから早期発見や早期治療が望ましいですが、現実には発症例が少ないために全身検査を受ける機会が少ない年代では発見がしにくいという特徴があります。違和感を覚えたり体調の不良、集団検査などによって兆候が見つかり小児がんが発見されることもあるのです。
治療に関しては成人と同じように外科手術が選ばれることが多くあり、場合によっては投薬や放射線治療も並行して行われます。身体的な負担が多いために、成人程治療の自由度が高くないことも認められます。今後成長してゆく過程でありますので、治療が人生の妨げにならないようにクオリティオブライフという概念を元に行われるのです。

終末期医療と緩和ケアについて

終末期医療と緩和ケアについて

成人の悪性腫瘍でも小児がんでも進行が進み、外科手術では取り切れないと判断された場合には抗がん剤の治療に切り替えられることがあります。しかし抗がん剤の治療にも体力が必要であり、現実的に選択出来ずに終末期医療を施されるケースも少なくありません。
終末期医療は痛みを取り除き、不快な症状をなるべく緩和するための対処的な療法になります。終末期の患者が抱える痛みや不安などは、健常な人には想像が出来ない程の大きなものになるのです。少しでも状態を良いまま余命を過ごし、尊厳的な命の終末を迎えるためには必要な治療になります。
ガイドラインに定められた投薬や酸素吸入によって、息苦しさや寝苦しさなどを取り除くことで、少しでも日常の生活を送れるように医療的なサポートをするのです。患者の希望に沿って治療は行われ、延命措置の拒否なども選択することが可能になります。患者に関わる全ての医療関係者が、最善を尽くすためにサポートすることが終末期医療の緩和ケアになるのです。

まとめ

人間の寿命は高度な文明社会を築いたと同時に、医療の発達により高寿命化したと言われております。しかし同時に高齢者の医療ケアが、高齢化社会では大きな問題となっているのです。
医療の発達によって小児がんの発見もしやすくなり、助けられる命が増えたと言われております。成人に比べて体の小さな小児は、臓器も小さく密なために外科手術が行いにくいという特徴があるのです。医療機器の発達によって、小児でも外科手術を受けられる可能性が大きくなりました。

投稿者:終末医療学術集会

尊厳死とはどのようなものか令和以降の考察

医療は年々進歩していますが、特に2000年以降は大きな進歩を遂げており過去には不可能だった延命処置ができるようにもらっています。かつては助からなかった命が助かることにより、人々を幸福にする一方で、命を延ばすことにより不幸になる人もいます。例えば、延命処置をしてみたものの寝たきりの状態となり自由が全くない人などです。法律上、本人の承諾を得ることなく勝手に延命をやめてしまうと、医療機関で延命処置の取りやめを判断した医師は殺人罪になってしまう可能性があります。そのため、勝手に中断することができません。
ですが、本人の意思表示ができる段階ならば、無駄に命を延ばすことなく自然の中で亡くなることも問題ないはずです。このように、自然な形で亡くなる方法を尊厳死と呼んでいます。特に不治の病などはどれだけ命を延ばそうとしても苦痛をもたらすとされています。それならば、延命処置をすることなく尊厳死を選ぶ人がいても不思議では無いはずです。

株式会社グッドオフが運営する葬儀のデスクによる
尊厳死1~尊厳死とは何か|尊厳死の歴史や安楽死・自然死との違いを解説
から、尊厳死の問題を考えました。

尊厳死に対する日本の現場とは

尊厳死と言う言葉は、昔から海外で使われていましたが、日本でも積極的に使われるようになったのは1990年代ぐらいからです。実は海外と日本では、尊厳死に対する解釈が少し異なっています。日本の解釈は、延命処置をとらず緩和医療等で人生の終わりを迎えることです。これに対して海外の尊厳死は、安楽死を含んでいます。日本の法律では、安楽死が認められていないため海外の尊厳死をそのまま適用することができません。しかし、本人の希望があれば延命処置をしなくても良いことになっています。このように考えれば、尊厳死も認められるわけですが、これを認めるためには法律上の制限がいくつかあるため難しい部分もあります。
例えば、本人の意思を確認した場合でも、意識が朦朧としている状態の場合にははっきりと本人の意思があったと断言することもできません。そこで延命処置を止めてしまえば、医療機関の人間が殺人罪や殺人の幇助になってしまいます。そのため、日本では尊厳死に関しては不可能ではないものの慎重な構えをとっているのが現状です。

安楽死とはどのようなものか

安楽死とは、回復の見込みがない患者に対して安らかな死を選ばせることです。具体的には、医者が致死量の薬が入った注射をすることで眠るようにして痛みを伴うことなく終焉を迎えさせることです。この注射は通常睡眠薬が含まれており、注射をすることで眠気を誘いそのまま意識を失います。そして、致死量を超える薬物が含まれているため、意識を失った状態で命が消えていくわけです。本人は、注射をした段階で意識がないため一切痛みが伴わず楽な状態で死を迎えることができます。
現在日本では、癌の患者が非常に増えています。過去30年の間に2倍ほどの患者数になっており、年間でおよそ370,000人の癌患者が発見されている状態です。その中でも末期癌は身体中が痛くなるためこの苦痛を取り除くために、安楽死の議論がされています。安楽死自体は日本で発明されたのではなく、海外で発明されたもので、これを積極的に日本でも適用しようとする話もありました。特に1990年代以降は、日本国内で安楽死に関する議論が盛んに行われているのです。

日本では安楽死できないと言う現実

海外では、安楽死が合法の国もあります。スイスは安楽死が合法な国として有名です。しかし日本では、安楽死が認められていないのが現状です。1990年代には、末期癌を患った患者に対して医者が安楽死をしたところ殺人罪の容疑で逮捕された事例がありました。これをきっかけに、安楽死そのものに対する議論が盛んに行われてきたわけです。
日本国憲法では、人権が尊重される以上は生きる権利もあれば死ぬ権利もあるはずです。それにもかかわらず、頑なに安楽死が合法化されない理由は一体何でしょうか。
合法化されない最大の理由は、本人の意思表示にあります。本人の意思表示とは、自分は安楽死をしたいと医者に伝えることですが、本当に心の底からそのように考えているかと言えばその判断は難しいものがあるでしょう。
人間は、心に思っている事と言葉に表現した事は違うこともあります。また人の心は移ろうところがあり、たまたまその時は死にたいと考えていても安楽死の注射を打った時、もう少し生きたいと考えることがあるかもしれません。また、家族にこれ以上迷惑をかけたくないと遠慮している人でも、心のどこかでは寿命まで生きたいと考えている可能性もあります。このように、意思表示をしても本当に死を望んでいるかと言えばそうでないことも多く、このあたりが安楽死を合法化することが難しい理由になるわけです。

尊厳死とは、延命処置を施さずに自然なかたちで亡くなることです。延命処置を始める前の段階で本人の意思が明確ならば尊厳死も問題ないとされています。当然この意思表示には明確な基準があるため、曖昧な意思表示では尊厳死を選ぶことができません。
それに対して安楽死は、苦痛を避けるため致死量の薬が含まれている注射などをして積極的に命を奪う行為です。現在の日本では安楽死は一切認められていません。その理由は、本人の意思表示が明確でないことが多いからです。

投稿者:終末医療学術集会

安易なホスピスにNO。後悔する前にデメリットを理解しよう

ホスピス・緩和ケアに関して、何となく良いイメージが出回っているため将来はいずれ入りたいと考えている方も少なくありません。一方で医師の紹介がなければ入れず、そもそも空きを待つ時間がかかったり費用も決して安くはないなど、デメリットとなるポイントもあります。ここではホスピスの基本的な知識を学びつつ、その特徴やメリット・デメリットを把握した上で後悔のない選択をとれるよう、その対策方法などに関しても解説します。

そもそもホスピスとは?

ホスピスとは、生命を脅かす疾病に罹患している患者とその家族への苦痛を、最小限に留めることを目的としたケアのプログラムおよび概念です。疾患の初期から痛みを含めた身体的な問題に加えて、心理社会的・スピリチュアルな問題に対し、正しく評価することによってそれらが障害とならないよう予防・対処を行います。これにより患者とその家族を含めた、クオリティー・オブ・ライフ(QOL)を高めるためのアプローチと言えます。

ケアの主幹は人が生きること、生命を尊重して死を自然なものと認めることです。そのため死を引き延ばすことは当然、反対に早めることもありません。疾患によって発生する痛みや、不快・苦痛な症状から解放することも条件です。

身体的なものに加えて、精神的なケアも同様に重視されます。精神および社会的な援助を行って、患者に最期の時が訪れるまで積極的に生きていける意味を見出せるよう、支えることも重要です。患者は一人ではなく家族と共同体であるため、闘病中はもちろん死別した後のケアを行うこともホスピスのプログラムの一貫となります。

ホスピスのデメリット

ホスピスの基礎概念を見ると、患者とその家族に良い治療と思いがちですが一方でデメリットも存在します。まずはホスピスに入るまで、時間がかかってしまう点が挙げられます。日本全国においては210ほどのホスピスの施設が存在しており、用意されている病床数は4200前後しかありません。

またホスピス・緩和ケア病棟におけるケアの対象、すなわち医療保険制度による承認施設に入ることができる患者にも条件が定められています。悪性腫瘍と後天性免疫不全症候群の患者が主な対象となっている他、入るには医師の紹介が必要な点もデメリットと言えるでしょう。

なおホスピスには指定の施設に入る以外にも、訪問診療・介護・看護を含む在宅ケアや、一般病棟に組み込まれた緩和支援ケアチームによるケアなども含まれます。必ずしも末期(治療不可能)患者であることが条件ではない、という点は留意しておきましょう。

ホスピス施設に入る上で、費用が必要な点もデメリットの1つとして考えておくべきです。30日未満と60日以内、61日以上でそれぞれ料金は変わってきます。通常の入院と比べて費用がかさむ点は、念頭に置いた上で選択しましょう。

ホスピスにおける課題点

ホスピスの課題点として挙げられるのは、患者に真実が知らされていない可能性がある点です。患者が真実を知った上で、どういった選択をとるのかということを予測しながら医師はケアをしなければなりません。また医師側は、家族に最終的な判断をさせてはならないという使命を帯びています。患者との死別後に、家族の心の中に後悔が残る可能性が大きくなるからです。すなわち医師にケアの舵取りを任せることとなり、専門家にコントロールを委ねている状況とも言えます。医師と家族側、患者との意思・希望とのすれ違いが生じないかという点は現在も大きな課題です。

なお患者が主役である終末期のケアであるにもかかわらず、患者より家族の意向が優先されることもあり、その点も問題視されています。家族に納得される最期を用意しなければならないこと、家族に対するケアは患者の存命中に始まっているとされる意見から来る問題です。患者のその人らしさを尊重する上で、家族の意見が重視される点もその要因となっています。

対策方法・選択に後悔しないために

対策方法・選択に後悔しないために

ホスピスにおけるデメリットを把握した上で、対策に考えられるのは家族でしっかりと話し合うことでしょう。可能な限り治療を続けるのか、身体的および精神的に解放した状態で心豊かに最期を迎えてもらうのかを、家族の一人一人が十分に考えることが大切です。良さそうなイメージがあるからと安易にホスピスを選択するのではなく、患者や家族のことを考えつつ慎重に選ぶようにしてください。

費用や施設に入るまでの時間を抑える策として、在宅でのターミナルケアも1つの選択肢として挙げられます。在宅のターミナルケアとは、自宅で医師・看護師の訪問を受けながら残された日々を過ごすという形のケアです。酸素吸入や点滴などの処置、病状が悪化した際の対応などは医師・看護師に任せざるを得ません。寝たきりになった場合は、数時間ごとに身体の向きを変えなければ床ずれを起こしてしまいます。このように在宅のターミナルケアは、QOLを大きく下げる危険性もはらんでいることを覚えておきましょう。

まとめ

生命の最期を尊重し、死を自然なものとして受け容れるホスピス・緩和ケアでは、痛みや精神的苦痛から解放して心豊かな最期を迎えることを目的としています。一方でホスピス施設に入るには医師の紹介が必要であったり、入居に時間や費用がかかる点も忘れてはいけません。安易にホスピスという選択肢をとるのではなく、残された時間を悔いのないよう患者・家族ともに過ごしていくためにも、しっかりと話し合った上で選ぶことが大切です。

投稿者:終末医療学術集会

終の住処はどう選ぶ?部屋探しで絶対に押さえたい3つのポイント

老後を見据えて住み替えを検討している人も多いのではないでしょうか。子どもが大きく成長した後は、夫婦で二人暮らしをしたり一人暮らしをするということも多くあります。高齢になってから介護が必要になることもありますし、車の運転が難しくなるなどライフスタイルも大きく変化します。その年齢に合った住まいの方が暮しやすいのは間違いありません。老後に暮らす部屋を探す際に、押さえておきたいポイントについて詳しく紹介します。

利便性の良い駅前周辺が何かと便利

老後の住まいを考える上で、利便性の良さは非常に重要な要素です。買い物難民という言葉が登場したように、駅から離れた場所だと買い物に行くのにも一苦労といったことがあります。高齢になると車を運転するのが難しくなることも多く、普段から日常生活の足として使っている人は不便に感じるでしょう。これは地方に限定した話ではなく、都心部でも起こっている現象になります。

駅前であればスーパーマーケットやコンビニエンスストア、ドラッグストア等が揃っていることが多いです。日常の買い物には困らないので、そういった立地を選ぶことが大切になります。インターネットショッピング等で対応できる場合もありますが、出かける機会が減ってしまうことは足腰を弱らせる原因にもなります。どんどん外出して体を動かす方が健康を維持することができるので、周辺に出かけたい場所があるのがおすすめです。外に出ることで友人との交流も生まれますし、助け合いやすい環境が生まれやすくなります。

病院が近くにあるところを選ぼう

高齢になると、何らかの持病を抱えているということも多いのではないでしょうか。複数の薬を飲んでいるという人も少なくありません。そういった場合には、かかりつけ医のような何でも診てもらえる病院が近くにあると安心して暮らすことができます。病院が遠くにある場合、タクシー代などの費用が発生してしまうこともあります。定期的に通院する必要がある時は、診察代に加えて交通費が大きな負担になってしまうからです。

医療機関が充実しているところの方が安心できます。それから歯科クリニック等も重要で、口腔環境は全身の健康にもつながります。歯周病の人ほど認知症になるリスクが高いと言われていますし、きちんと噛めないと脳への刺激が不足してしまいます。それにより認知症を引き起こしやすくなるので、定期検診で歯科クリニックに通うことが認知症予防につながるのです。複数の診療科のクリニックが揃っているエリアがおすすめになります。

コンパクトな部屋を選ぶ

コンパクトな部屋を選ぶ

子どもが小さいうちは、広いスペースでのびのびと育てたいと感じるものです。子育ての事を考えて、一戸建て住宅に住んでいるという人も多くいます。しかし、子供が成人した後には大きすぎる家だと手入れが大変といったことがあります。大きすぎる家を管理するのは意外と大変で、庭が広いと植木の手入れをしたり雑草を頻繁に抜かなければいけないということもあるようです。光熱費が余分にかかってしまうこともあります。メンテナンスも必要になるので、ランニングコストもばかになりません。

そこで老後のために住み替えるのであれば、今まで住んでいたところよりもコンパクトな住まいを選ぶのがおすすめです。マンション等は一戸建て住宅とは違い管理費を支払う必要はありますが、何か不具合が生じた時には管理会社に連絡すればすぐに対応してもらえます。それからコンパクトな住宅だと掃除もしやすいですし、生活動線も短くなるので移動の手間も少なくなります。

介護を考えてバリアフリーの住宅を

高齢になると介護が必要になることも多いので、住み替えるのであればバリアフリー構造の住まいがおすすめです。段差のないバリアフリー構造だと転倒しにくくなるので、転倒による骨折のリスクを減らすことができます。高齢になってから骨折すると完治するまでに筋力が低下してしまい、そのまま寝たきりになることもあります。また、浴室などにも滑りにくい床材が使われていたり、浴室や階段などに手すりが付いているということもポイントです。手すりがあるだけで歩きやすくなるので、体が思うように動かせない場合などには重宝します。

体が上手く動かなくなってくると車椅子を使用することもありますが、段差があると生活するのが難しくなってしまいます。そのためバリアフリーになっていることが、介護をされる側も介護をする側にも大切なポイントです。住み替えを決断する段階ではあまりイメージできないかもしれませんが、年齢を重ねた先のことを考えて選ぶようにしましょう。

まとめ

老後の部屋探しで押さえたいポイントには、駅前など利便性の良い場所にあることや信頼できる病院が近くにあること、バリアフリー構造になっていることが挙げられます。買い物がしやすかったり、体調不良の時にすぐ診てもらえるといったことは生活する上で大きな安心感につながります。高齢になると車の運転も難しくなってきますし、持病などで病院を受診する機会も増えます。また、介護が必要になることもあるので、介護しやすい住まいを選ぶことが大切です。

投稿者:終末医療学術集会

平穏に自殺する権利を考える|本人の自由vs周囲の気持ち

現代になり、日本人の生き方は少しずつ変わってきています。戦時中は、生きることが非常に重要と考えられており命を粗末にするものではないといった考え方が一般的でした。これは、戦争などで命を失う人が多かったため命の大切さを知ることができたからです。ところが最近は、命の大切さよりもどのように生きるかに関して興味を持っている人が非常に多い傾向にあります。生き方を語る上で避けて通れないのが自殺や安楽死に関する考え方でしょう。

基本的に自殺自体は犯罪ではない

現状の日本の法律では、死ぬ権利は全くないわけではありません。例えば、日本には自殺をする人が1年間に10,000人以上います。これは、80年以上前では考えられなかったことと言えるでしょう。このような時代において、自殺をすること自体に問題があるのか問われるところですが基本的に法律に関しては特に自殺を禁止するようなものはありません。

例えば、誰かが自殺をして未遂で終わってしまった場合それで逮捕されるような事は無いわけです。そこで日本の法律は、人の人生を殺めたり人生や財産に傷つけたりしたときに罰せられるものです。そのため、自ら命を絶つ自由がある意味存在するといっても言い過ぎではありません。これは、裏を返せば生きる自由があるといっても言い過ぎではないでしょう。ただそうは言っても、自殺をする家族のことを考えるとそれを積極的にする勧めることができないはずです。亡くなった人の遺族に関しての気持ちも考えることが重要です。

周辺の気持ちを考えること

自殺に関しては特に法律上罰せられる事はありませんが、日本では自殺自体は否定的に考えられています。確かに自ら命を絶つ人が増えているものの、だからといってそれを積極的に推し進めるような事はまずありません。何故かと言えば、多くの人は家族とつながりがあるからです。

基本的に、家族の1人が自殺した場合一緒に住んでいた家族や一緒に住んでいなかったとしても血のつながりのある人は後ろめたい気分になることが多いです。自分がもう少しその人の悩みを聞いてあげればよかったと後悔をするだけでなく、大きな心の傷として残ってしまいます。少なくとも、時間薬のように時間が経過すれば記憶から抹消されるようなものではありません。また、心の傷が時間とともに消えるわけでもありません。どちらかと言えば、生きている人も後ろめたさを感じるようになり楽しく生きることができなくなってしまいます。中には、ノイローゼになるような家族もいるため前のことを考える場合に自殺をするべきではないでしょう。

周りの人のことが考えられないわけではない

周りの人のことが考えられないわけではない

自殺をする場合、家族がいる場合には確実にその家族に迷惑をかけてしまいます。中には、家族が自殺したから自分も死にたいなどと考える人もおり死は連鎖してしまうものです。これを避けるためには、周りのことを意識することが重要になります。もはやこれ以上生きていても仕方がないと思い込んでしまった人でも、周りのことを意識すればそれも自殺を回避するきっかけの1つになるといっても言い過ぎではありません。

しかし、自殺した人が家族のことを全く意識していないわけではありません。少なくとも、自分の親や兄弟あるいは子供がいる場合そして配偶者がいる場合もそのことをよく考慮するでしょう。

逆に考えすぎた結果、このまま生き続けても周りに迷惑をかけてしまうので終りにしようなどと考える人もいるはずです。この時重要になるのは、家族との話し合いになります。もちろん家族と話し合いをまともにすることができない関係の場合は、後ろめたさから話を切り出すことができないケースもあり解決が難しい問題の1つです。

安楽死に関してはどうなのか

自殺と似た考え方の1つに、安楽死と呼ばれる考え方があります。私とは、自分自身で死にたいと意思表示をしている場合周りの人がその人の命を奪うことです。具体的な場面を見ていくと、医療現場などになります。例えば、肺がんなどにかかった場合にはかなり苦しむことになるでしょう。これから苦しむことになる位ならば、安楽死をした方が良いと決断する人もおりその時安楽死を実行するわけです。

ただ、日本では安楽死自体は合法化されておらずこれをしてしまうと医者が自殺幇助罪と呼ばれるものになります。そのため、知識のある人はまずそのようなことはしないでしょう。法律的なことは横に置いておいても、安楽死を合法化する事に関してはなかなか難しいものがあります。確かに、本人の意思を尊重すると言う意味においては問題ないといえますが、日本人は空気を読む人種と言われているわけです。空気を読み家族のことを意識すると自分は生きていない方が良いと決断し、安楽死を決断します。心の底からこれ以上生きていたくないと考えるのではなく、周りの人のことを考えると生きていても仕方がないと考えているため、本人の意思とは言い切れないわけです。

まとめ

日本には人権と呼ばれるものがありますが、その中に生きる権利がありそして死ぬ権利もあります。基本的に自殺に関しては法律上罰せられる事はありません。しかし、家族のことを考えればあまり積極的に自殺を勧めるべきではないことがわかります。同じようなものに安楽死と呼ばれるものがあり、これは日本では合法化されていません。その理由は、日本人は周りの人のことを考えて周りの迷惑をかけないようにこれ以上生き続けるのはやめようと決断するためです。本当の意味で自分の意志が明確ではないことを考えると、安楽死は合法化することはできません。

投稿者:終末医療学術集会

がんの終末医療|身体・精神・宗教など様々な観点からのケアの詳細を解説

がんは多くの人が罹患するようになりましたが、今でも不治の病として知られており、3人に1人はがんがきっかけとなって亡くなっています。がんの場合、終末期になるとひどい痛みが起こりますが、身体的な痛みの他に精神的や社会的な苦痛も味わうことが多いです。そのため医療機関では終末医療に力を入れており、緩和ケアを取り入れるところが多くなりました。終末医療はタブーのように感じますが、がんになった人をどのようにサポートしていくのか、患者本人がよりよく最期を迎えるにはどうしたら良いかを考えていく時代になっています。

終末医療の一つ緩和ケアとは

終末医療の中にある緩和ケアは、実際のところ終末期だけでなくがんにり患した時から始まります。厚生労働省では平成28年12月にがん対策基本法が改正されて、緩和ケアについて定義がされました。厚生労働省の定義では、病気によって伴う心と体の痛みを和らげることと位置付けており、がんと診断された時から行うことを推進しています。
実際がんになった場合、まず不安や落ち込み、そして悲しみなどの精神的な苦痛を感じます。身内に対しての申し訳なさや治療に関しての不安などが次々と訪れるため、自分では気が付かないうちにうつ状態に陥ってしまうこともあります。また終末期になると痛みや倦怠感を感じるようになり、痛みに関してはがん患者の7割は経験します。このようなことを少しでも和らげるために緩和ケアがあり、生活の質を向上させていきます。病院を起点に様々な方法で行われており、うまく連携をしながら進めていくようになっています。

ターミナルケアで行われているアニマルセラピー

ターミナルケアは終末期医療とも言い、末期のがんなど医療の力では直すことが難しい病気を抱えている人に対して行われます。病気を完治させるのが目的ではなく、残された時間を楽しく豊かに過ごすのが目的となっています。
ターミナルケアの一つであるアニマルセラピーは、動物の力を借りて行われるものであり、犬や猫など身近な動物と触れ合うことにより元気を取り戻していくことができます。特に犬とのふれあいは癒しの効果があるとされており、うつ病の改善の可能性もあります。がんになると落ち込む機会が増えるのですが、動物とのふれあいは、その落ち込んだ気分を一瞬でも取り除いてくれることがあり、時間が多ければ多いほど、改善していく可能性が高くなります。
アニマルセラピーは主に医療機関で行われており、出張という形で動物と触れ合うことができます。もちろんすでに飼っているペットでも癒しの効果があり、がんの人の気持ちに自然と寄り添っています。

終末期においても季節行事は重要

宗教もターミナルケアでは大切

緩和病棟に入院した場合、主に体の苦痛を和らげる治療を行っていきますが、同時に心のつらさも和らげていきます。あと何日生きるかわからないという精神状況の中ですが、いつかはそのような事実を受け入れていかなくてはなりません。緩和病棟では季節行事が行われており、最初は参加するのが辛いことが多いのですが、次第に受け入れるようになり、楽しむことができるようになります。
季節の行事は七夕やお祭り、クリスマスやお正月など1年を通じて行われています。七夕は願いを短冊に込めて飾ったり、お祭りは院内で夏祭りのようにミニ屋台を設置し、ちょっとした買い物ができるようになったり、クリスマスではツリーを飾るだけでなくプレゼントをもらったりなど家にいるときと同じことを行います。またそれぞれの行事の中では同時に音楽を聴くなど音楽療法も行われており、心を落ち着かせる治療も行われます。これらの季節行事は家族が招かれることも多く、一緒に同じ時間を共有できる良さがあります。

宗教もターミナルケアでは大切

日本には信仰している宗教の数が多く、人によって信仰しているものが異なります。そのためその人にとってこの考えは良いのだろうかと深く考えてしまいがちですが、ターミナルケアを受けるようになると宗教についてこだわりがなくなり、その分心の支えとなるものとして様々なことを受け入れられるようになります。
ターミナルケアにおいての宗教の位置づけは、これから来る死について受け入れることであり、修行というとらえ方ではありません。終末期の患者が受けた宗教的ケアの結果として、とても役に立ったと答えた人は多く、その中で多かったのが宗教的な音楽を聴く、牧師や僧侶などに会う、礼拝や仏事に参加するが30%を超えました。逆に病院などが発行している宗教的な刊行物はあまり役に立たなかったと答えた人が6割近くを占めており、人との話し合い、触れ合いが効果をもたらすことが分かっています。無理やり押し付けるのではなく、自然な形で受け入れられる環境が大切になります。

まとめ

がんになると終末期は体と心の痛みがひどくなり、自分を見失ってしまうこともあります。できるだけ生活の水準を下げないようにし、心を穏やかにそして体の痛みをなくすために、アニマルセラピーや音楽療法、そして宗教的なケアが行われています。
どの方法も最初から受け入れられるわけではないので自然な形で参加できるのが大切であり、決して無理強いしないことが大切です。考えや行動が押し付けにならないよう注意し、何をその人が求めているのかを探っていくことも必要となります。

投稿者:終末医療学術集会

認知症の終末医療 – 家族が考えるべきこと、するべきことについて

認知症とは脳の病気や障害などの原因で認知機能が低下する状態になります。理解力や判断能力が劣ることで、日常生活に支障が出て介護が必要になるケースや記憶をなくすケースもあります。若年性の認知症もあるので、高齢者だけがなる病気ではありません。認知症の患者を抱える家族は、とても負担が大きくなります。介護をする中で精神的な負担を抱える方が多く問題になっています。家族が考えることややるべきことなど紹介します。

認知症でケアを受けることは可能です

認知症の症状が進んでくると介護が必要な状態になります。国の制度である介護保険制度を利用することができます。介護保険制度は日本国民が40歳以上になったときに加入をしなければならない保険になり義務づけられています。介護保険サービスは40歳以上の方で介護保険料を支払っている方が対象になります。

介護保険のサービスは、介護にかかる費用の軽減や心身の負担を減らすことができます。このサービスを利用するには、要介護の認定をうける必要があります。要介護認定は、段階があり、要支援1・要支援2・要介護1から5までに分類されます。分類によってうけることができるサービスが変わってきます。要支援1の場合は、週1回の介護予防訪問や月2回のショートステイを利用することができます。要介護3以上に認定されると特別養護老人ホームで、身体のケアを含む介護を利用することが可能になり、終身利用することができます。

認知症を発症した場合に、症状が進む前しておくこと

認知症は病院の検査で判断することができます。神経心理学検査や認知症検査をうけて認知症の種類や進行度を判断していきます。認知症を発症した場合は、早期の治療が大切になります。症状が進行する前に適切な処置をすることが大切になります。認知症の予防をすることで、認知症と判断された後でも進行を緩やかにすることができます。

認知症の一種になるアルツハイマー認知症や脳血管性認知症は、糖尿病や脳血管障害から引き起こる可能性があるので、それらの生活習慣病を予防したり、症状のコントロールをすることが大切になります。血糖を下げるような食事や塩分を控えめにする食事などを積極的に摂取することで、生活習慣病の症状の改善に繋がることになります。適度な運動も必要になり、関節などを動かすように意識することで、筋力の低下を防ぐことができます。運動をすることによって、脳に刺激を与えて活性化させることができます。

終末期医療などについて

認知症は初期から始まって中期・末期という経過をたどっていきます。重度の認知症になると家族の名前がわからなくなったりします。嚥下障害がおこるようになり、失禁などの症状もでてきます。歩行障害や運動障害も引き起こるので、重度の認知症の場合は寝たきり状態になります。このようにならないためにも初期の段階から対処をする必要があり、遅くとも中期の時点で治療をすることができたら、認知症と共存しながら晩年を過ごすことができます。

そのまま終末期医療の準備をしないまま重度の認知症になった場合は、家族としては、最期のことを話し合う必要があります。家族でできることやできないことなどを考えて判断します。自宅でのターミナルケアをするのか、施設でターミナルケアをしてもらうのか、考えておく必要があります。自宅でのターミナルケアは、在宅医療や訪問看護・訪問介護などを利用することになり、家族が中心となって介護をおこなっていきます。

認知症における家族の負担

認知症における家族の負担

認知症の方を介護することは家族にとってさまざまな負担がのしかかってきます。精神的な負担や経済的な負担があるので、必要なときに必要なサービスをうけることが大切です。認知症があって身体的に問題が無い場合、身のまわりのお世話だけではなく、目が離せないといったことがあります。徘徊によって迷子になってしまったり、事故に合う可能性も高くなります。

目を離せない状態が続くので、介護をする側はストレスを抱えながらお世話をすることになります。要支援や要介護が低いレベルなら基本的には家族が介護をすることになり負担が大きく大変です。そうならないためにも、早い段階で認知症の診断を病院でうけることが必要になります。認知症は薬物療法とリハビリテーション・非薬物療法の治療法があります。このような治療を早い段階で、始めることで、進行を遅らせることが可能になります。認知症の介護は一人では大変なので、家族で協力し合うことが必要です。

まとめ

認知症になると、さまざまな支障がでてきます。症状が初期の場合に早い目に医師の診察をうけることがもっとも重要になります。また末期の認知症の場合は、最期のことを家族と話し合いながら決めていく必要があります。認知症では意識確認が難しくなるので、延命治療の問題では家族の意思にゆだねられます。終末期医療をどのようにするのかなど本人の意見を取り入れることができる場合は、本人の意思を尊重することが大切になります。